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生口島について

海運と塩業で栄えた島、生口島
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生口島はどのような歴史を積み重ねてきたのか。
ここでは簡単に年表として見ていただけたらと思いつくって見ました。
歴史に興味ある方のお役に立てれば幸いです。

現在の所、室町時代あたりまでのことを調べている段階で
人様の歴史サイトを巡ることに心を奪われてしまい、
塩業という部分にスポットをあてることもできていませんが、
そのうちに調べてみたいと思っております。



年表でみる生口島の歴史

X時代
遺跡 萩:東神峠遺跡

採集された安山岩製の打製石器が旧石器時代のものである可能性が指摘されているようです。
弥生時代
遺跡 御寺:光明坊遺跡、七九谷遺跡
萩:東神峠遺跡、神峠遺跡、樽水(たるみず)遺跡
中野:茶臼山遺跡、奈良遺跡
福田:寺尾遺跡
州江:正善寺遺跡
宮原:瀬替(せがわ)遺跡

神峠(かんどき)遺跡から出土した石槍や鉢形土器の形態・技法的特徴から北四国や吉備を含む沿岸部の交易ルートの存在が想定されています。
古墳時代
古墳 福田:杵個山古墳
垂水:大浦古墳、殿山古墳
名荷:山室古墳

これらの古墳は海岸近くの丘陵上に立地して、海上を見渡す位置にあることから、被葬者は海上交通との関わりがあった可能性があるとされています。



奈良・平安・鎌倉時代
7C中頃 生口島、高根島、沼田梨葉郷に編入されていた。

7C末〜8C初 「萩」(生口島南IC付近の地名)・・・坂上田村麻呂の一門「萩雄儀」氏の居所

731年 光明坊(真言宗泉寺派)開基・・・聖武天皇の勅願により、行基上人が開基創建したと伝えられる古刹

聖武天皇についてはwikipediaさんでどうぞ。
行基については知識の泉さんでどうぞ。


1191年 法然上人来島(言い伝え)。


この頃生口島が荘園となる。「島田文書」
生口北庄・・・後白河院領、生口南庄・・・冷泉中納言家、福田庄・・・本家、御院、領家、北野天神

1194年 このころ高根島(香根島)は、竹原小早川氏の領地。

1197年 後白河法皇の皇女・式子内親王(しょくしないしんのう)が鈴虫、松虫を伴い来島したと言い伝えられている。

(これにまつわる話も光明坊のHPでどうぞ)
後白河法皇については知識の泉さんでどうぞ。
情熱的な恋を歌った式子内親王については藤原定家FCさんのサイトが面白かったです。
松虫・鈴虫については極める京さんでどうぞ。

1270年 このころ光明坊の「木造阿弥陀如来坐像」が造られる。

1294年 このころ光明坊「十三重石塔」建立。「石槽」が造られる。

1310年 生口水軍、沼田水軍の支配下になる。

1314年 生口三郎兼明(甲奴郡を支配していた甲奴太郎兼長の長子)が、三原の青木城から俵崎城(瀬戸田町鹿田原:現在の俵崎城跡)に移り、支配する。

俵崎城:城跡の、4つの郭のうち最も高い部分の郭(高さ約30m)からは、島内の茶臼山城跡や、三原の桜山城跡、因島の青影城跡付近まで望むことができ、 中世には城の直下に海岸線があったと推定され、瀬戸田の港湾の商業活動を掌握した勢力が、港湾の監視や警固活動の拠点として構築した城として考えられているようです。
茶臼山城は詰めの山城、俵崎城が館城という性格。


俵崎城に関する記事は愛媛新聞社さんでどうぞ。

1322年 生口三郎兼明により中野光明院(瀬戸田町中野:現在の光明寺)を建立。

     南北朝・室町時代
1342年 小早川一族、南朝方で伊予の世田城(新居浜市)を攻め入る際、同じく南朝側で広沢五郎の支配下であった生口島へも10月4日に進出し、10月6日茶臼山城を落城。
以後、小早川氏の支配下で瀬戸田は畿内との交易ルートとしての重要な水軍拠点となり栄えていく。

小早川家については播磨屋さんで。
そのほかサムライワールドさんもお勧めです。

1397年 大通禅師、沼田本郷(三原市)の小早川春平の要請を受け、本郷に仏通寺を建立。

1403年 大通禅師、生口守平、生口島の潮音山に100人あまりが泊まることのできる「向上庵」を建立。


1414年 生口惟平・守平親子と深い関係のある生口信元・信昌らにより向上寺独立。



1422年 生口船、兵庫港の関税免除となるものの、翌年にはその特権取上げ。
生口惟平が興福寺、東大寺両関の関税免除の特権を得たのだが、その特権を持つ生口船に便乗して、特権をもたない数多の瀬戸田の商船も関税を払わず入港していたため。


これに関連する記事は愛媛新聞さんでどうぞ。

1432年 生口守平を大檀那として、有力な海運業者と考えられる生口信元・信昌によって向上寺三重塔建立。

(この頃、生口船団1000石以上が20隻、40石以上が84隻)

1475年 小早川元清、生口家になる

1554年 福田沖で陶晴賢(すえ はるかた)と海戦、功績をたてた坂井善兵衛が小早川隆景から感状を受ける。 (陶晴賢ではなく、海賊衆の一派という説も)
(生口船十数隻は三原船に編入)

生口南庄因島村上家の領地。福田は小早川隆景の支配地。

陶晴賢は歴史辞書スクリーバさんでどうぞ。
小早川隆景も歴史辞書スクリーバさんでどうぞ。

1555年 生口孫三郎景守、村上水軍と共に厳島の戦い(厳島合戦:毛利元就と陶晴賢の戦い)に毛利方について戦う。

向上寺梵鐘完成
厳島の戦いも歴史辞書スクリーバさんでどうぞ


     安土桃山時代
1582年 生口氏、高松城の戦い(岡山県岡山市高松)に参加

高松城の戦いは戦国瓦版さんでどうぞ

1585年 小早川氏の水軍と共に四国出兵。

1592年 小早川氏と共に文禄の役に参加、向上寺梵鐘を供出する。

1599年 向上寺梵鐘完成

     江戸時代
1600年 関が原の戦い後、その功績により福島正則が広島城主(49万8000石)となり俵崎城没収。

福島正則については福島正則・石田光成ご贔屓サイトさんでどうぞ

1615年 光明坊全山焼失

1622年 光明坊本堂再建

1638年 北生口に2軒の塩田ができる

1639年 光明坊十三重石塔改修

1666年 瀬戸田の船頭、八丈島に漂着

1670年 瀬戸田に多くの塩田が作られていく
5軒、5町、50石
(1町=3000坪≒100m×100m、1石=180.39g)

1675年 中野村塩田(1675)、林村、名荷弓浜塩田(1676)、沢村、鹿田原村、中野塩田(1677)
1683年 長浜、沢村の沖浦浜塩田、名荷9軒の塩田

1689年 瀬戸田一番浜(得能善兵衛)

1690年 沢村沖に4軒の新浜

1700年 この頃製塩に石炭5割、薪5割使用
40軒、30町、500石
この頃ため池や新聞が多く作られる。

1703年 この頃綿を作っていた。

1731年 光明坊持仏堂再建

1759年 瀬戸田に大火事が起こり316戸焼失。

1806年 伊能忠敬、安芸国を測量。
(瀬戸田上陸は2月16日、2月17日は風雨の為測量していない。)

1809年 瀬戸田の善蔵寺等が台湾に漂着する。
「異国見聞記抄録」

1819年 塩田・・・37軒、25町4反、70105俵。
牛・・・生口島723頭、高根島48頭、馬・・・124頭
人口・・・8367人

1832年 このころ、小麦の栽培 「渋谷雑録」より

1840年 このころ、「名荷掘抜」完成。

1845年 福田御台場建設

1847年 六字名号塔建立(通称:大墓)
1849年 垂水の栄吉、私財を投じて5反の新田を開く。(栄吉新田)

1854年 南海道地震(M8.4)、伊予西部地震(M7.4)、翌年安政の大地震

     明治時代
1869年 垂水、永井重助の持船「福宮丸」がアメリカの軍艦「アシュロット号」に当て逃げされ、沈没。
この件は愛媛新聞社さんに詳しくあります。

私は永井重助のひ孫に小学校の授業を教わった訳になります。愛媛新聞さんの記事を読んで初めて知ったのですが。

このころ切支丹灯籠伝わる(堀内家)。

1873年 向上寺本堂焼失
学舎麗明者(瀬戸田)、開明舎(北生口)、合明舎(名荷)、弘明舎(萩)、寛明舎(御寺・1874年)、明楽舎(高根・1875年)の設立。

1874年 郵便局開業

1877年 向上寺本堂建替え
警察瀬戸田分署ができる。

1886年 永井重助、米国に対する損害賠償に勝訴。

1888年 人口11886名
1889年 瀬戸田と沢が合併する。

1890年 役場ができる。

1893年 暴風雨

1904年 機械船「生口丸」就航。

1910年 瀬戸田塩業組合設立

1912年 このころ、塩田33軒、77町余り。
自転車が使用され始める。
     大正時代
1920年 電灯がつく。

1923年 電話がつく。

     昭和時代
1926年 レモン栽培が始まる。

1955年 南生口村と合併、瀬戸田町となる。

1956年 町営バスの営業開始(生口島一周路線の開始は1967年から)

1970年 農業整備事業の一環による高根大橋が完成し開通する。

1971年 瀬戸田塩業組合が解散、瀬戸田の塩田の歴史が幕を閉じる。

1991年 生口橋開通

1997年 平山郁夫美術館開館

1999年 多々羅橋が完成し、しまなみ海道が開通する。

資料:
◆「瀬戸内海の十字路 せとだ 観光ガイドブック」瀬戸田町商工会
御土産屋で600円位で購入できたと思います

◆「瀬戸田町史 資料編」瀬戸田町教育委員会
資料編の他、地理編、民族編、耕三寺編があり(厚さ4cm程度、規格:菊判、貼箱入)、 瀬戸田町図書館で各3500円で購入できます。遠方の方でのお申し込みは瀬戸田町史編さん室、 08452−7ー1877に電話してみてください。FAXは08452−7−2973

◆「瀬戸田町の文化財」瀬戸田町教育委員会
◆「わたしたちの町 瀬戸田」瀬戸田町教育委員会
◆「俵崎城跡」財団法人広島県埋蔵文化財調査センター
◆「因島地方一万年史」中島忠由著


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